四十路母ちゃんの断酒日記

44歳の主婦が依存に闘いを挑む記録を可能な限り赤裸々に綴ります♪

8日目:ノンアルを飲んだ

頼りたくないとか負けた感とかあるくせに、今日は夜に1本ノンアルを飲んだ。

 

これと言った理由はなく、何となく飲んだ。

とは言え「気が付いたら飲んでいた」というわけではなく「ノンアルでも飲もうかな」と思って飲んだものだ。

これは、危ない兆しなのだろうか。

 

日曜に買ってもらった6缶パックのノンアルは、残り3本になった。

酒を飲んだわけではないが、何故か罪悪感のようなものすら感じる。

 

週に3本のノンアルは、特に多いとは言わないだろう。

節酒を試みては何度も挫折を繰り返して来た私には、この1週間は大きい。

続けたい気持ちでいっぱいなのは確かだ。

しかし同時に、まだまだ飲みたい私が存在しているのもまた事実で、それに打ち勝つのはやはりそんなに簡単な事ではない。

 

ノンアルは、1本を越えることは今の所ない。

今日は「うん、これで充分だなぁ」と思いながら飲んでいた。

 

何だろう、その「充分」というのは。

ビールに寄せて作られたその風味のことなのか、はたまた「飲んでいる」かのような雰囲気のことなのか、それとも1缶という量のことなのか。

 

その辺が自分でもよくわからないから、何となく不安になるのかもしれない。

 

ノンアルで酔い潰れることはないだろうけれど、それを一晩に6缶全て飲み干してしまうような事になりはしないかと、そこが不安なのかもしれない。

そしてそれでは、出て行く金額は変わらなくなる。

じゃあ、変わらないなら酒飲んでも同じことじゃん?

なんて所にまで発展してしまうような気がして、それが怖いのかもしれない。

 

「気分だけでも」

「雰囲気だけでも」

 

それは飲酒ではないわけだが、結局のところ飲酒欲求を代わりのもので満たそうとしているだけなのであって、「酒が必要ない自分」な訳ではない。

 

辿り着きたいのは「酒代わりのもので満足出来る自分」ではない。

 

「最初は仕方ないさ。これだって今は週に3本でも、徐々に週2、週1、と減らして、いずれ必要なくなればいいさ。」

 

なーんて、そんな事が出来るなら、もうとっくに節酒できていたのではないかと思う。

依存に傾いているのを自分で感じることもなく、いわゆる「適量」とやらでやめられる自分であった事だろう。

節酒に何度も失敗している自分を、どうしても私は疑う。

 

8日目の今夜は、ノンアルの後は紅茶など飲みながら過ごしている。

 

今日は何となく、飲みたいというか「酔いたい」のかもしれない。

 

これからもまだまだ、こんな日が来るんだろうな。

まだまだ先は長い。