四十路母ちゃんの断酒日記

44歳の主婦が依存に闘いを挑む記録を可能な限り赤裸々に綴ります♪

44日目:忘れていたアレが蘇る

下書きに入れたまま寝落ちしたらしいので、昨夜のものを昨日の日付で上げておこう。

 

—————

 

そうだ、私は偏頭痛持ちだったのだ。

 

と、思い出したような言い方をするのは、飲んだくれている間はあらゆる部分が麻痺していたり、頭痛がある日は朝からのアルコール頭痛ということがほとんどだったので、しばらくその存在を忘れていただけに過ぎなかったのだと最近理解したからだ。

 

酒を飲まなくなって、体調面で悪くなったことは1つもないと以前書いた。

今も大体同じようなことを思っている。

 

偏頭痛に関しては酒をやめてから始まったわけではなく、若い頃からずっとあるものだ。

ただ、飲んでいる間は「偏頭痛」として頭痛を感じることはほとんどなかったように思う。

 

何かで、酒を飲み続けている間は感じない痛みを、酒をやめてから感じるようになる場合があるというのを読んだことがある。

不調や痛みとしてそこに実在してはいるが、アルコールの影響で、本来なら感じるべき痛みや不調を感じなくなっている、いわゆる麻痺した状態ということなのだろう。

 

気持ち的には出来れば痛いより痛くない方がいいが、本来感じるべきものを感じないのなら、例えばそれが深刻な病気の症状であった場合を考えると恐ろしさしかない。

 

少なくとも良いこととは思えない。

 

多分今日の頭痛は、強めの日光と車のエアコンのせいかと思う。

その前は低気圧の時だった。

 

ちょっとした懐かしさすら覚えるこの感じ、以前はしょっ中感じていたことだった。

毎日毎日を飲んだくれて過ごすようになり、二日酔いの胃のむかつきや吐き気、アルコール頭痛などの症状に隠れてはいたけれど、偏頭痛は変わらずずっとそこにいたんだろうな、と今は思う。

 

飲んで酔ってわけわからない状態で毎日を過ごしていると、大切なサインも見逃すだろうし、体の声など聞こうともしないだろう。

 

本当はずっとそこにいた偏頭痛に改めて気がついて、そんなことを思った。

 

よく体を温めて、体の声にちゃんと気が付けるように、これからの時間を過ごそう。

43日目:断酒6週間達成

家に帰ると何故かやる気が無くなる日々が続いていたが、今日は休み。

そして明日明後日も休み。

 

あれやこれやと野暮用はあるが、仕事はないので気持ちは幾らか楽で、天気も良かったので気分も良く、少しだけ重い腰を上げた。

 

大したことをしたわけでもないが、たまり気味の洗濯物も全部やっつけ、ベランダの小さな庭スペースに生い茂った雑草もだいぶ綺麗にした。

 

一番気になっていた、住人のいなくなってしまった鳥かごを洗って撤去し、代わりにクリスマスローズを飾った。

鳥たちの写真もプリントした。

あとは写真立てを買ってきて、鳥かごのあった所に飾ろうと思っている。

 

髪も切りに行って白髪も染めてもらい、少しウインドーショッピングを楽しみ、久々にカフェに立ち寄りコーヒーを飲んだ。

今日は珍しくケーキも食べた。

切らしたもち麦と砂糖不使用のイチゴジャムも買って帰宅。

 

そして疲れて寝てしまい、気がつけば夜。

6週間経ってみて、体調はかなり良くなったが相変わらずやる気モード全開!という事にはならないらしい(笑)

 

そりゃそうだ。

何でもかんでも酒を飲んでいたせいではないし、好き好んで飲んだくれていたのは私の意思であり、酒に罪はないってもんだ。

 

ここまで歩いてきた道は、どんな時も全て、私自身の選択だったのだから、酒のせいでもなければ他の誰かのせいでもない。

 

そこは、間違ってはいけないなと。

いや実際、酒のせいにしてしまったら楽は楽なんだけれども。

それはとても分かるけれども。

 

毎日同じことを書くようだが「酔ってたからゴメンね」というわけには行かないのだと、しっかり心に留めておかなければ。

 

酒飲んで飲んで飲んで飲み続けて高血圧になりましたとか肝臓の病気になりましたとか、事故起こして人に怪我をさせてしまいましたとか、それは「酒のせい」ではなくて「そんな事になるまで酒を飲んでしまった自分のせい」でしかない。

 

ちゃんと分かってるか?私。

それだけはホント、忘れちゃいけない。

 

いつだって、選択するのは私自身。

飲むも飲まないも、私自身が決めること。

で、食べたり飲んだりしたもので私の体は作られ、そして生きている。

私を生かすも私を殺すも、やっぱり私なのだ。

 

という、

ちょっと大げさだけど、すごく大切なことを、

改めて思う43日目の夜。

42日目:飲まないことに体が慣れれば

土曜日が来る、と思うたびにまだ「あれから何週間経ったんだな」とついつい確認してしまう。

 

まだまだ、断酒日数という「目に見える数字」が増えて行くのが嬉しいと感じる。

 

まるで貯金が増えて行くかのように。

…増えないけど(笑)

 

でも、何となくそれに近い感覚のような気がする。

数字が増えて嬉しいのは「通帳」というのは多くの人が感じるものだろう。

逆に今、数字が減って嬉しいのが「体重」や「体脂肪率」だ。

 

これに関しては減り続けるわけではなく、食べたり飲んだりしたものや量によって勿論変動するが、断酒開始からたまに体重計に乗り記録していたグラフを見れば、開始前から現在まで小さなアップダウンを繰り返しながらも確実に右肩下がりの線を示している。

 

昨日の朝にはギリギリ47キロをきっていて、ベストの45キロまで残り2キロ弱というところまで来たことを数字で実感した。

 

飲まないことに少しずつ体が慣れて来ると、例えば断酒の影響で若干「食べること」に傾いてしまったりしていても、徐々に落ち着いて来る。

 

それに、食べ物の甘みと塩気を強く感じるようになってきて、少しずつ味覚が戻って来たのかもしれないとも感じる。

 

これで禁煙にも成功すれば更に「美味しく食べる」事ができそうだし、味ももう少し薄目で良いかなという気がして来て、実際味噌汁などは以前よりだいぶ薄味に作るようになった。

 

気持ち的には、会話の中に飲む話が出て来ると少しは寂しさを感じることもあるが、体はあまりそうは思っていない様子だ。

それに、酒が原因で自分や誰かを傷つけ、築き上げて来たものが一瞬にして崩壊する事を思えば、どうしたって「やっぱり飲まない方がいいな」という気にはなる。

 

中には「自分だけは大丈夫、そんな失敗はしない」と思う飲んだくれもいることだろうが、私はそのタイプではないらしい。

「飲み続ける以上、明日は我が身」としか思えない。

そして、そんな自分を「それでいい」と思う。

 

せっかく体が飲まないことに慣れて来ているのだから、あとは精神面が飲まないことに慣れ、飲まないことが当たり前になれたらと思っている。

 

慣れということが良い方向に作用することもあれば、逆の場合もある。

 

もう慣れたから少しくらい飲んでもまた断酒出来る。大丈夫大丈夫!などと馬鹿なことを考えないようにしたい。

41日目:酒ってヤツは。

やめようかなとか、やめたいなとか思っている人も、今やめてる最中な人も、さすがに今日は「酒こえぇ」と思ったのではないだろうか。

 

全てが台無しになる。

今まで積み上げて来た何もかもが、たった1つの失態で、たった一瞬にして崩れて落ちる。

そうして失ったものは、戻る事はない。

 

悪いことには、自分が酒を飲んで起こした事で、自分だけが全てを失うだけでは済まない。

被害者のあることなら被害者とその家族の人生を狂わせてしまうし、時に命を奪ってしまう場合すらある。

 

今回話題になっている彼は、被害者とその家族はもちろんのこと、長年共に支え合い歩んで来た仲間までもが大きなものを失うことになる。

これまで応援してくれた方々、仕事をサポートしてくれた方々、影響は計り知れない。

 

それでも、どんなに後悔しても、もう戻ることは出来ない。

 

彼がアルコール依存症だったのかどうか詳しくは知らないが、退院したその日に飲む辺り、かなりその線は濃厚なのだろうと思う。

 

有名人だから話は全国に知れ渡り、有る事無い事報道されたり過去をほじくられ様々な事を書かれたりする部分も大きい。

 

被害者であっても、そっとしておいてもらえないのだからタチが悪い。

 

忘れてはならないのは、一般人であってもこういう話は身の回りにいくらでもあり、そしてそれは決して対岸の火事などではないという事だ。

 

私だって、これまで運良く酒を飲んだことによる大きな失敗や罪を犯したりせずに済んでいたが、それはただ単に「たまたま運が良かっただけ」であって、今もまだ飲み続けていれば、明日にでも飲酒運転で轢き逃げなんて事をしでかす可能性だってゼロではない。

 

飲めば脳は正常ではなくなるわけなので、素面ならば絶対にしないであろう選択や判断を当たり前のようにしてしまう。

飲み続ければ飲み続けるほど、その確率は上がるだろう。

 

あらためて、酒をやめる選択をしたあの時の自分は、これからの自分にとって最高の選択をしたのだと思う。

 

ナイス、私。

 

飲まなければ、少なくとも「酒に酔っていたから」という理由で何か取り返しのつかない事をしでかす可能性はなくなるわけなのだから。

まぁそうは言っても、他の原因で取り返しのつかない事をやらかす可能性が消えはしないわけだが、それでもやっぱり確率は低い方がいい。

 

せめて、誰かの人生まで台無しにするような事だけはしたくない。

 

何度も同じ事を繰り返すようだが、他人事ではないのだ。

明日は我が身なのだ。

飲んで酔ってブラックアウトする日々を続ける限り。

 

酒ってヤツは、本当におっかないもんだ。

しみじみ思う、41日目。

40日目:頑張ってるじゃん。

40日目って!

期待と不安を両手に抱えてスタートした断酒も、とうとうここまで来た。

 

何十とか何百とかいうキリのいい数字は、やっぱりちょっと特別感がある。

 

桁数に関わらず、一の位のゼロはいいもんだ。

 

いや頑張ってるよな、私。

あんなことにもこんなことにも負けず。

酒に逃げず。

 

せめて自分は自分を褒めてやろう。

 

で、この世界のあちこちで、私と同じ事を今この瞬間も頑張ってる人達がいる事を思おう。

 

その人達にも、きっと日々色んなことがあるだろう。

 

みんな色々抱えてる。

いちいち言わないだけだ。

それに耐えたり立ち向かったり乗り越えたりしながら、日々を生きている。

 

私は特にネット上などで断酒仲間と思われる人に声をかけるでもなく、そういったコミュニティなどに参加するでもなく、ひとりで淡々と断酒を続けている。

 

でも多分、私はひとりじゃない。

どこかで誰かが同じ事に挑戦している。

ただそれだけで、私はひとりぼっちじゃない。

 

知らなくても、会わなくても、言葉を交わすことすらなくても、きっとどこかでそんな知りもしない誰かと、すれ違うくらいの事はあるだろう。

 

そう思える私はオメデタイ部類の人間なのかも知れないが、今はその方が都合がいいのでそれで良し。

 

40日。

いい響きだ。

 

次は50日を目指して、今日という日を無事に終えよう。

39日目:諦めない限りは失敗とは言わない

私の勝手な考えではあるが、回数制限でもあるなら話は別として、自分の人生におけるチャレンジについては、上手く行かなくても下手をこいても「もうやめた!」とそれをやめてしまうのでなければ「失敗」としなくても良いのではないかと思っている。

 

禁煙でも禁酒断酒でも、何かのはずみでまた手を出してしまうことが往々にしてある。

ちなみに私は過去、妊娠期間以外で禁煙したことは二度ある。

 

一度目は何となく。たまたま禁煙セラピーを読んだら吸わないでいられたので吸わずに過ごした。1週間後、子供のスポ少で監督に腹が立ってタバコを買いに走ってあっけなく終了したが(笑)

 

二度目は、当時小学生だった次男が「体に悪いからやめた方がいい」と何度も言うので、承諾して数ヶ月禁煙を続けた。

復活してしまったのは中学生だった長男の反抗期にぶつかりストレスに負け、旦那さんから一本もらって吸ってしまった。

その後しばらくは吸わずにいたが、会社の飲み会で嫌な雰囲気に耐えられず貰いタバコをしたら、帰り道ではタバコを飼っていた。

 

以来喫煙組に属しているが、禁煙を諦めたわけではなく、まずは酒の不要な生活になって、それから再度挑戦しようと考えている。

 

だって酒飲むとタバコ吸いたくなるから(笑)

 

原因とか引き金になるものを少しでも減らしてから始めたいという浅はかな考えではあるが、まずは1つ、というところだ。

 

そんなわけで、私の勝手な考えを前提に言うと、「私はまだ禁煙に失敗してはいない」と言うことになるのだ。

 

時に都合良く考えるのも悪くない。

 

6月に、同じグループで働いている派遣さんの1人が雇い止めになる。

それで、グループ内の派遣仲間だけで送別会をしようという話になり、日程の都合を聞かれた。

 

断りたい気持ちと、見送りたい気持ちの間でグラグラ揺れまくったが、結局「今のところいつでも大丈夫だ」という返答をした。

 

その話が出て以来、「スリップ」という単語が何度も頭の中を行ったり来たりする。

 

もちろん負けるつもりはなく、ノンアルコールドリンクで数時間を過ごそうと現時点では考えている。

今のご時世なので、何種類かはアルコールっぽいノンアルもあるだろうし、なければ何かしらの理由をつけて烏龍茶でも飲んでおきたい。

 

厄介なのは、派遣仲間の数人は、私がキッチンドランカーだったと知っているという事だ。

説明するのも面倒だが、何か聞かれたら「酒やめたんだ」と言ってしまおう。

 

体の調子が悪いとかドクターストップだとか、アレコレ変な理由をつけて後から何か聞かれたりする方が更に面倒だろう。

 

もういっそのこと、飲み会とかいう文化が消えてしまえばいいとすら思ってしまう(笑)

 

今日も飲まずに過ごしているが、まぁ今日も大変な騒ぎで、既に飲みたい気分になっていることは確かだ。

 

でも、飲まない。

ノンアルも飲まない。

水だ水!水もってこい!

 

で、自分で取りに行く、と。

38日目:夏本番まではノンアルを控える

昨日の買い物ではノンアルを買わずに帰った。

冷蔵庫にもストックはないので、昨日からはノンアルも飲まないで過ごしている。

 

何かあるとついついノンアルを飲んでしまうので、こりゃぁ良くないなと思い、なるべくそういうものにも頼らずに過ごしたいと思い、買わない選択をしてみたわけだ。

 

子供達に買っている野菜ジュースを小さなコップで少し飲んでみたり、会社に持参している水筒に余ったお茶、同じく残ったコーヒー、それもなければ水を飲んでいる。

 

「水」と決めてしまうと、なんとなくだがそんなに量を飲まないようだ。

 

水浸しにも脱水にもならない、ちょうど良い量というのはまだ測りかねているが、これを続けて行くと段々と分かってくるのではないかと期待している。

 

最近は会社にいる間に飲むコーヒーの量も減った。

 

持参しているコーヒーを大体午前中に飲み干して、昼からは水筒のほうじ茶、夕方に空のマグにコーヒーを入れなおして、帰り道で半分くらい無くなるような感じだ。

 

少し前は、午前中だけでマグに2回くらいコーヒーを足していた。

ぬるくなってしまったコーヒーを捨てて熱いのを入れ直す事も多かったので、これだとどれくらい飲んだのかが掴みにくい。

 

それで、自分の中で、空になるまではコーヒーを足したり、捨てて入れ直したりしないことに決めてみた。

 

何かを始めようとか、何かを変えようとかする時は、「まずは現状を知ることから」。

 

家計を見直したり支出を抑える手立てを考える時も、「今現在どんな事やどんな物に、どれだけお金を使っているのか」を知るところから始まる。

 

水浸しや脱水を改善しようと思うならば、まずは普段何をどれくらい飲んでいるのかを知るところから。

 

という事で、最近の水分量を書き出してみようと思う。

 

●起床〜出勤前

   ・豆乳甘酒

   ・(ほうじ茶orコーヒー)

●出勤〜昼休み前

   ・コーヒー(マグに1〜1.5杯)

●昼休み〜退勤

   ・ほうじ茶(450の水筒半分〜1本)

   ・コーヒー(マグに半分ほど)

●帰宅〜就寝

   ・水(500のボトルに1本未満)

   ・(ノンアル350を1〜2本)

 

大体こんなものだろうか。

朝のコーヒーやお茶については、水筒に入れるのに余れば飲むといった感じなので飲まない事も多い。帰宅後はこの度ノンアルも極力飲まないようにしたので、この2つについてはカッコ書きにした。

 

書き出してみると、目に見えるので分かりやすい。

これが変化した時にも比較できる。

 

こうして、何か始めたり見直す時や、変化を感じた時などは書き留めてみよう。

 

夏までに脱水でも水浸しでもないカラダになる。

夏本番まではノンアルをなるべく控える。

何かあった時にノンアルに頼らない。それだと酒に逃げるのと大した変わらない気がするから。

 

ここら辺を、今後の目標にしたいと考えている38日目の夜。